コラム ホモロー 第10回:DROORSの話
2019.08.16
私、産まれも育ちも京都です。
産婦人科で産湯を使い、
店では店長アラカワ、
そこらでは汚いオッさん。
人呼んでどうもボードウォークのホモローです。
前回のコラムからかなり間が空いてしまって全国に居て下さってるであろう3人ぐらいかなぁ?いや、それは多過ぎか…。
なんしか極少数の当コラムの愛読者様にはご迷惑をおかけ致しました。
言い訳して良いっスか? 私事で申し訳無いんですが、長年住んでたボロ家が
ヴィンテージ過ぎで耐震基準満たせないから立ち退きしてや?ちゅう割とヘビーな状況に突然おかれまして…。
住み慣れた家だったので立ち退きを全力で断固拒否してセブンディズを闘ってやろか?とも思ったのですが、宮沢りえが転校生で、クラスのマドンナで現れることもなく大人の公的な真面目な書類のシーンで、淡々と立ち退きの手続きを進められまして…。
僕も一応大人なんで、仕方なしにH20的に大人の階段登らざる得なくなってしまって…。
繰り返しますが僕、一応もう大人通過してオッさんなんで、泣く泣く仕方なしに長年住み慣れた家から700メーターっちゅう、実に恐ろしく遠く離れた、更にヴィンテージ丸出しの鬼アニマルハウスに引っ越してやりました。
ただ、平成から令和に元号も変わったこんな世の中で昭和ど真ん中鬼モロ丸出し、前の住人は一体どうやって生活してたか些か疑問ですがネット環境はもちろん、生活に最低限必要になる電力も足りてなくて新たに電線引かないといけないし、そや言うたかて既に契約書にはサインしてたので捨てるに捨てれないVHSスケビに、乗ることないのに大量にあるデッキに、図書館級に溜まったスラッシャーマガジンを、仕事終わってから自力で700メーター移動させてやっと落ち着いた思った矢先に、新調した哀macちゃんの画面が真夜中に何も触ってないのに轟音と共に吹っ飛んで…(汗)
おかげ様で何とか30年分のスラッシャーマガジンやVHSテープを詰め込んだ大量の段ボールは見えない所に押し込んでぇ、哀macちゃんはフルカスタムし過ぎたのが原因だったみたいですぐに修理から上がって来て、やっとこさ落ち着いてこうしてキーボードを叩ける状況になりました。
誰も一切待ってないでしょうけど、またちゃんとコラムれる様に頑張ります。多分。
さてとぉ、無駄に長いのが売りの当コラム。驚くなかれココから本題。
皆様はご覧になられました?物凄い話題になった映画ボヘミアンラプソティー。
アカデミー賞も総ナメ系だったのでご覧になられてないお方でも何かTVとかラジオで聞いたかな?程度ではご存知ではないでしょうか?
これからゆっくりご覧になりたい方にネタバレしたらシバかれそうなので、細かい内容は割愛しますが、数奇な人生を突っ走って燃え尽きた歴史に名を残すバンドQueenのヴォーカルのフレッドの物語とでも申しましょうか?
今となっては世界中で議論される様になったセクシャルマイノリティーやHIV等、まだまだその様な類がタブーだった時代のフレッドの苦悩や葛藤が作品内で描かれ、それら描写の中に彼らの楽曲が乗せられる事によってオンタイムでQueenファンだった方々は涙し、映画を通して初めてQueenご存知になられた方は「曲は聴いたことあったけどこんな人やったんやぁ」となられた(なられる)ことだと思います。
映画の大ヒットを通して楽曲やアーティストというものは何年経っても色褪せることなく、そして老若男女の心に突き刺さる要因が大にあると、物凄く勝手に解釈し、スケーターの世界にも色褪せることなく燦然と輝き心に突き刺さるバンドおよびロックアーティストって誰かなぁ~?
と朝のウ○コしてる時に誰も必要としてないですがキバりついでに考えました。
もちろん世代や個々で色々変わるかと思いますが僕個人はパッとウン○と共に出て来たのが、ジャネスジョップリン、ボブマーリー、カートコバーンに最近ではエイミーワインハウス等
僕は勝手に華の27歳デス組なんて不謹慎極まりない言い方してましたが、正しくは27クラブなんて言われる27歳でこの世を去ったロックアーティストにも挙げらていれるジムモーリソン。
そして彼が所属していたバンド【THE DOORS(ザドアーズ)】。
正直、ロッカーが死んだら神格化される風潮はあまり好きでは無いですが…。
このDOORSのヴォーカルのジムさんも良い意味でも、いや、全然ストレートに悪い意味でまんまロッカー。
ただのクソ野郎。
ライブ中にチ○コ出して自慰行為して逮捕されるわ。
米国の国民的歌謡番組エドサリバンショーの生放送で事前に注意されたくせに、
「ローリング・ストーンズはルールをちゃんと守ったて聞いたけど俺らは聞かんとこけ?」
で当時は放送禁止用語だったハイ(高揚もしくはラリってる意)を鬼シャウトして物凄~く怒られるわ…。
もう書けるのココまでで後は自伝読むなりググるなりで各自で探して読んで下さい。
とにかく「そら27歳で死んでまうわ…」な太く短く溢れる才能を爆発させたままあの世に逝ったロッカー、それがTHE DOORS所属のジムモーリソンでした。
そんな、実は繊細で詩的でナイーヴな面を隠す為の破天荒に歯止めが効かなくなったジムさんの生き様や、彼が駆け抜けて行った反戦やヒッピームーブメント等の時代背景にシンパシーを感じたスケーターが多かったのか…?
僕には正確には分かりませんが、記憶が正しければこのTHE DOORSの楽曲を一番最初にスケボーの世界に持ち込んだのが、1991年にH-Street社から発表されたビデオNEXT内のオーシャン•ハウエルさんのパート。
今でも十分に通用しそうなハウエルさんのテクニカルなスケートにバッチリとハマった当パート。
まだ9.0×32インチ近いサイズだった当時の座薬型の太いデッキでいとも簡単にトレフリッップ(デッキを縦横1回転させるトリック※以下トレ)等を、いとも簡単に操る超鬼テクニカルなスケートスタイルは当時のキッズスケーターには憧れのプロスケーターでした。
当時どないあがいてもそのトレが乗れなかったガキの僕。
友達とあれやこれや話合って、ハウエルさんの真似してモコっとしたキャスケットCAP被ってダボダボの短パンにダルダルの長袖T着て、エアーウォーク社のエニグマシューズ履いたらトレ乗れるかも?
いや、トレ乗るにはもうそれ(真似)しか打開策絶対無いで…?ていうアホ満開な結論に至って、バッチリ古着屋最安値で衣装真似して、意気揚々とスポットに出向いて練習初めて5発目ぐらいので鬼クソ捻挫で撃沈。
ドクターストップで滑れない間ひたすら恨みにも近い視線でこのパートを見まくって、どうやったらトレが乗れるかスローやコマ送りを繰り返して、6580.5回位観たところでトレのコツを得ることなく鬼のように脱線して、
「何かこのパートの曲渋いな…?」てなってエンドテロップを調べて初めて僕は初めてTHE DOORSってバンドの存在を知りました。
ただ治療で滑れないと言いつつ地平線級バカなんで我慢できる訳もなく、一切何も出来ないのにスイッチ(スケボー反対乗り)をして儚く散り、左足の捻挫に加えて右膝にも最新のiPhoneぐらいの厚みのカサブタ出来て、歩く度にカサブタ割れて痛過ぎて流石に滑れなくなったので、当時の京都では”たわーれこーど”なる舶来のレコード屋さんが烏丸五条上がったとこに出来たって聞きつけ、
ちょっくら舶来のレコード店で欧米のザドアーズの”しーでぃー”なるもんでもシバいて、
ハウエル様の曲を家で聴いてテンション上げたろかいなと思い学校の帰りに”たわーれこーど”なるお店に寄り道。
アルファベット順に奇麗に並べられた棚のTのコーナーを探せど探せど、お目当てのTHE DOORSが見つけられない…。
そこで世の中の接客業の店員さんの中で恐らくダントツ一番に愛想悪そうな店員のネーちゃんに恐る恐る「ティーエッチイー…」て感じで、つづりを伝えてご希望アーティストがどこにあるか聞くと、
世の中の接客業の店員さんの中で恐らくダントツ一番に愛想悪い感じで「TやなくてD!!ディ!!でぇーの棚!!」
て言われて赤っ恥メイクから、やっとこさTHE DOORS数枚をゲット。
早速家に持ち帰ってCDラジカセに挿入。
ハウエルさんの曲しか知らなかったので結構ポップな曲調の陽気なバンドかと思ってたら、
ドヨ~んと重い感じの曲調が多くって「この歌手のオッさん何か病んではんのかなぁ?」なんて思いつつ、折角買ったんで聴いとかな勿体ないから聴いてたら、知らない間にこのTHE DOORSのストレンジな世界にハマって行きました。
そんな折、忘れもしない夏休み始まったばかりの昼下がり。
通販で友達と共同出資で買ったスケートビデオが我が家に光臨。
歴史に名を残すそのビデオ内でもまたしょっぱなからTHE DOORSの洗礼を受けます。ソレがコレ。
そう1992年発売のPLAN-B 1stビデオQuestionable内のパット•ダッフィーさんのデビューパート。
今でこそスタンダードなトリックになっていますが、当時は蒲田行進曲の階段落ち扱い。
1パート内のエンダーで1カット入るだけでも「頭逝っとるで!」扱いだったハンドレールでのスライドトリックがプライマスの曲に乗って、家系ラーメンばりの大盛りの応酬。
デッキにVHSテープ挿入して数分でお腹パンパンからの、
パットさんの滑りとプライマスの曲が見事にシンクロして、
エンダーにあり得ない長さのキンクのハンドレールで50-50。
あまりにも自分のやってるスケボーと次元が違い過ぎてあっけにとられて、
ぶっちゃけそないテンションが上がることも無く、一切口をつけることのなかったぬるくなったコーラ片手に、友達と2人で「何や?コイツ・・・頭相当悪いやろ」しか言えないまま場面転換。
「ん?」何か聴いたことあるなぁ?と、いつも聴いてたCDの曲の中でイントロが音楽ではなく効果音で始まる曲だったので何となく記憶にあったTHE DOORSの曲。
正直、ビデオを観るまでまた陰気な曲やなぁ~ぐらいにしか思って無かったけど、友達に「俺”は”この曲知ってるで?」て言える洋楽ロック通ぽく浸れる優越感と、当時でも今でも絶対やったらアカン雨の中、更に手すりなんてスケボーで乗れない僕でも濡れてたら更に危険度が上がるなんて安易に想像がつく中、物怖じしないパットさんの滑りが合わさってもう訳分からん形容しがたいカヲス感。
こうして更に知らん間にTHE DOORSの曲に刷り込まれ、ウォークマンでハウエルさんの曲とパットさんの曲だけループで聞いて、
学校帰り毎日寄り道で行ってた新京極のスケートショップにいつも通り出向く。
棚に並べられていたアイテムに目をやって再び「ん?」「何か見たことある気する?」
パットさんの雨の中パートで感じた”アノ”感じに似たデジャヴ感。
「コレ、何やったけ…?」が頭にループするなか、手に取ったTシャツがコレ。
当時パットさんが所属していたPLAN-B社と人気を二分していた系列会社だったBLIND社に、ダニー•ウェイさんの代打でチーム入りしていたプロスケーターのジョーダン•リッチャーさんが半裸になって、お世辞にも奇麗ではない写真プリントが施された別になんてことない1枚のTシャツ。
写真の端っこに入ってたロゴマークを見て「あ…コレ…アレや」になって、
家に帰ってCDのジャケットの内側の写真を見て「ああああ…この写真のパクりやん」てなって
今見たら本物のTHE DOORSのヴォーカルのジムさんとジョーダン•リッチャーさんは、
恐ろしく全く何も似てないけども完全にTHE DOORSに刷り込まれてた僕は寄り道で見掛けた
例のTシャツを大して意味も無く謎にゲットすることを固く決意。
次の日、ショップに出向いて「昨日のTシャツ買います」って申し出たら
「もう売れたけど別の柄が今日来たわ?」って段ボールから出されたTシャツがコレ。
コレは拾い物の写真ですが、僕が当時買ったのは茶色ボディに黄色カラープリントでした。
アホなんで本物のロゴに”R”が付け足されていることに気付いたのは4日後ぐらいやったし、
読み方が”ドロアーズ”って読むって知るまで余裕でドアーズって言ってましたし、
上の広告内にも”Created by eight ball clothing”と記載があるように当時ダニー•ウェイさんのお兄様が運営なされていた、エイトボールってアパレルブランドの中でも、一発ギャグ的な”企画物”として作られたぽいこれらアイテム達。
ただ、ハウエルさんのビデオパートから脈々と刷り込まれた謎のTHE DOORSパワーで、
僕に似た感じで何か分からんけど磁石で引っ張られたみたいな感じで買ってしまう…のスケーターが多くて
予想以上のセールスを上げたのか? そこは正確には分かりませんが、
僕の記憶では看板ライダーのダニー•ウェイさんの現役復帰不可能とまで言われた大怪我とも重なって、エイトボールは数ヶ月でパワーダウンして、知らん間に企画一発モノぽかったこのDROORSがメインに。
当時のスケートシーンは、ラルフローレンやトミーにジルボーや、ティンバーにノーティカ等々、HIPHOPのカルチャーから大きく影響を受けたファッションがスケーターの間では空前のブームでしたが、
それらハイブランドをガッツリオマージュ?いや、DOORS同様見事にパクって、
スケーターでも気軽に比較的安価でパッタもんをバンバン販売したDROORSは、
スケートボードアパレルから離れてしまっていたスケーター達を、再びスケートボード業界に引き戻した立役者的存在のブランドまで一気に成長しました。
“D”roors “C”lothing SHOES 略してDC Shoes
そこからのDROORS拡大成長ヒストリーのは他のサイトでも見掛ける事もあるのでご存知の方も
多いと思いますが…もっと詳細は既に現在のお店で働いてたのでハッキリと覚えています。
例のビックシューズブランドが誕生する前に
たった1回だけそれも確か2型だけさらに数量限定でDROORS名義でシューズが販売されていました。
生地はコーディロイ生地でデザインはC●NVERSE社の靴をモロパクリしたシューズで
アホ程スケボーしにくかったし履いたその日に破れる様なモロさでしたが…それがウケたのかな?
逆にモロ過ぎるやんけ!!てクレームが沢山出たのかな?
どうか分かりませんが次のシーズンからはシューズ部門はDROORSからは独立して
“D”roors “C”lothing SHOES 略してDC Shoeとして
本格的にスケートボードシューズとして展開する運びになって行きました。
そこから現在に至る迄のDC Shoesの快進撃は皆様の中にもご存知の方が多いでしょうが
別部門だったはずのDCがあまりにも好調過ぎる中で母体だったDROORSは影を潜めて行き
既に当時のスケーター達の間では”東”と総称されたZOO YORKなど西海岸にはない
洗練されたデザインの東海岸発のアパレルブランドに移行し始め、モロパクリ、ノリだけ
燦々と降り注ぐ太陽の下の陽気な西海岸ブランドが少しパワーダウンして
行く渦の中であんなけ夢中になったDROORSはいつの間にか消えて行ってしまいました。
あれから、ラジオからTheDOORSの曲が流れると「あ、この曲ハウエルさんの曲やったなぁ~」となり
それに連動してDROORSを思い出すのが当たり前に過ごして約20年。
ボケ~っとインスタやYOU TUBEを観ていたら
現在ナウ手スケートボードシーン最前線で活躍するプロスケーターが着用している
Tシャツに高校生の時の「何か見たこあるぞぉ~?」に似たデジャヴ感に襲われることがしばしば。
一番最初に「アレ?」ってなったのは最近DGKのプロに昇格したシャナハンさんでした。
彼は故意に90年代のスケーターのファッションでスケートするのを自身のポリシーとしているぽいので
「古着かなぁ?こいつ若いのに昔のスケートシーンのツボ知っとんなぁ~」程度でしたが
商業的にも成功しているであろう世界最高峰のコンテストSLSでしかも現在脂乗り切ってて広告塔としての影響力も相当大きいであろうティアゴ•レモスさんが同じTシャツで出場しているのを確認して「ココでコイツが流石に古着は着んやろぉ~」で、どうやら復活してるな…と確信。
どうもブランド発足時とは逆でDCの傘下で再始動するぽいですが、
僕が高校生の時夢中になっていたDROORSはまた”あの時”のようにうごめき始めてるのは間違いないようです。
今迄のダラダラダラダラ書いたコラムは当時米国の情報が少なかった京都で、僕が辿った時系列なので世界中のスケーター達が僕と全く同じ様な経緯でバンドTHE DOORSのロゴやジムモーリソンという人物を知り、それがDROORS誕生への機動力に至ったのでは?という確証は残念ながらありませんが、ここ迄物の見事にビデオパートで用いられた曲とシンクロしてるには”何か”があったと僕は確信しています。
モロパクりのロゴがプリントされ復活したたった1枚のTシャツ。
当時を知らない子達は新しいブランドが誕生したのかな?と思っておられたかも知れませんが
その1枚のTシャツには映画ボヘミアンラプソディーに似た感じで
DOORSのロゴデザインや故ジムモリソンの生き様そして彼らバンドの曲を使用したビデオパートや
同時期に多感な時代を過ごした90’sスケーター達の青春が注ぎ込まれているのでは?
と勝手に僕は思っています。
誰かここまで読んでます?
読んだ方は何かスケートボードブランドのアパレルでも着てプッシュしたくなりました?
そんな貴方は完全にライトマイファイヤーされています!! 今直ぐプッシュで出かけて下さいませ!!
あ、コッテリ滑り終えたら帰り道にレンタル屋さんでオリバーストーン監督の映画DOORSのDVDも借りて観て下さい。
映画ボヘミアンラプソディーのラミ•マレックさんもビビる位フレッド•マーキュリーさんに似てましたが、
映画DOORSのバル•ギルマーさんもマジで本人?て思うぐらいジムモリソンさんに似てます(笑)
お話が脱線し過ぎたんで今回はココらでディス イズ ジ エンド。
ほな お~きに!!