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  • 2019.03.15

INTERVIEW:東日本大震災から8年。スケートボードを通して荻堂盛貴が伝えたいこと

東日本大震災後も仙台を拠点に東北のスケートシーンを根底から支え、子供たちにスケートボード本来の楽しさを伝え広める活動をするプロスケーターがいる。

宮城県塩竈市出身のスケーター荻堂盛貴

先日行われた、東日本大震災を忘れない為のチャリティースケートイベント“Don’t Forget Party”にて、参加者に「スケートボードが出来る尊さ」を伝えた東北のスケート伝道師に、今年8回目を迎えたDon’t Forget Partyへの想いや、東北で活動を続ける意図などを聞くべくインタビューを行った。

 

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——東日本大震災の時はどこにいましたか?

 

アーリーウープ(宮城県のスケートショップ)でスタッフとして働いている時に震災に遭いました。地震が来た時はあまりの揺れにやばい!とりあえず外に出ろという感じで壁のフェンスにしがみついていた。

本当に北斗の拳の世界みたいでした。

とにかく揺れて地面が割れてこれはやばい、死ぬかもと思った。

その時は津波がどこまで来ているのかはわからなかったけど、実際は1キロ先まで津波が来ていたことを後からニュースを見て知った感じ。

何か伝え残さなきゃいけないという思い

——震災直後からブログを書いていましたね、その時の心境を聞かせて下さい。

 

自分の周りは何とか連絡がついて、亡くなった人はいなかったけど、気仙沼の友達が全く連絡がつかなくてもしかしたら死んでるんじゃないかと不安でしかなかった。

自分もいつ死ぬかわからないという恐怖心が常にあって、電池もやばかったけどあの時は何か伝え残さなきゃいけないという思いからあのブログ(https://ogipenny3.exblog.jp/i16/2/)を書いたんだよね。

震災後はライフラインが全く使えない状況だったから、普通に生活できることが本当にありがたいことなんだとすごく感じた。

 

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Don’t Forget Partyでみせたキックフリップ。

 

——1回目からDon’t Forget Partyに参加していますが、毎年どんな思いでこのイベントに臨んでいますか?

 

人って三日前に食べた物とか普通に忘れちゃう。

特に俺は人より忘れっぽいから、もっと忘れちゃう。

ドントフォーゲットパーティは絶対に忘れちゃいけないということを毎年思い出させてくれたり、気づかせてくれる。

大好きなスケートボードを通してそれを伝えることが出来る。

一年の中でとても大事な日だね。

大好きなスケートをやらせてもらえることは、当たり前のことじゃない

——荻堂さんにとってDon’t Forget Partyはどんな意味を持っていますか?

 

311日を忘れない為の日というのはもちろんだけど、さらに周りの人に感謝する為の日でもある。

自分の周りの人が突然いなくなるということ。

そんな想像もしてないことがあり得るということを知ってほしい日。

今回のイベントでは、当時まだ生まれていなかった子もいたけど、そういう子たちにも大切なことを伝えていきたいし、親に大好きなスケートをやらせてもらえることは当たり前のことじゃなくて、周りの仲間と一緒にいれるのも当たり前のことじゃない。

そういうことを改めて伝える為のイベントだと思ってる。

 

——スケーターによるチャリティーイベントという部分ではどう考えますか?

 

スケートボードしている人って誰も想像していなかったトリックを編み出したり、すごいスポットでトリックを決めたり、怪我からの復帰にしたってそうだけど、結構超人に近い人が多いと思う。

その超人達が集まって、こういうイベントをするとすごいエネルギーが生まれる。

スケーター11人が少しでも力を貸してくれるだけですごい力になることを知っているから、東北からもそういうスケーターをどんどん育てていきたい。

 

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地方が盛り上がればもっともっとシーンは大きくなっていくと思う

——どんなスケーターを東北から育てていきたいですか?

 

普段のスクールでは、最初はとにかく楽しくっていう部分を伝えてスケートにはまってもらい、本気でかっこよくなりたいとか、うまくなりたいと思ってもらえた所からスケートボードの本質にちょっとづつ触れさせていくというやり方をしてるんだけど、最初の01にする部分をいかに子どもに分かりやすく正確に伝えられるかがポイント。

そこを間違った方向で教えてしまうと、ただの競技としてのスケートボードとしてでしか見れなくなってしまう。

スケートボードの本当の部分が半分で終わっちゃうから、それは絶対にしたくない。

文化の違いもあるから、スクールという考え方自体がアメリカからしたら本質とずれているのかも知れないけれど、日本の文化という面から考えれば、そういうやり方の方が正しいんじゃないのかなと俺は思う。

スケートボードの何がいいのか、何がかっこいいのかという部分に触れる機会を増やして、スケーターを増やしていかないと(スケート人口の)ピラミッドが出来ないし、それが地方で活動している理由でもある。

今後、首都圏はわーっとスケーターが増えていく可能性があるけど、地方が盛り上がればもっともっとシーンは大きくなっていくと思うし、活性化にも繋がる。

その役割を自分は自然と担っていると思ってる。

42才なんだけど、スクール自体は2223歳くらいからやっていて、当時付き合ってたスケーターの彼女に教えていたらスポンサーがつくほど上手くなって、教えることの魅力にハマったんだよね。

自分も丁度それくらいからプロスケーターのTom Pennyに憧れてプロを目指し始め、コンテストへ出るようになり、その彼女とコンテストで勝つ為には練習場所が必要だねって言って、署名活動を始めて行政へアプローチしていたら、市民団体の人が若者の実態調査で自分達の活動と熱意に共感してくれて自衛隊のお祭りで場所を借りてスクールイベントを始めたのがきっかけ。

戦車や戦闘機の前で滑って新聞にも載ったりして(笑)

 

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自衛隊の戦車の前にて

  

それから、行政のお祭りで単発のスクールをしたり、知り合いのパークなどで少しずつスクールしながら、25歳の時にAJSA公認プロ資格をゲットしたんだけど、地方でプロとして食っていくのが困難なことに悩んだ。

そして、地方スケーターの人口の少なさが絶対にネックだと思って、難しくて敷居が高くてみんな直ぐに辞めちゃうスケートボードの底辺の拡大を目的として、辞めないスケーターを増やす為にスケートボードスクールを開始した。

アーリーウープスケートパークショップに働き出してからは定期的にスクールをする様になり、個人で始めたのは震災後からだね。

  

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当時の写真

 

スケーターの価値を上げたい

震災があって自分が本気でやりたいことは何かと考えた時にその時やっていたスクールを本気でやらないと後悔すると思ったのが個人で始めたきっかけ。

それで震災の半年後くらいにショップ(アーリーウープ)を辞めて、次の年(2012年)から自分が本当にやりたかったスクールを始めた。

今はONEPARKが閉鎖中だから、仙台のLUCKY OLDIES SHOWというアメリカンカルチャーを取り入れたカスタムバイクとスケートボードを扱うセレクトショップの2階にあるランプだけでやってるんだけど、これからはもっと拡大してカリキュラムとかもちゃんと作って、もっと多くのスケーターを受け入れられるようにしたいと思ってる。

他にも今は自分の思っていることや、経験してきたことを全て伝えられるくらいの子をピックアップして、自分の遺伝子的なものを全て注ぎこんでいる。

なぜならそういう子が一人いれば、いろんな人がその子を目指してどんどん良い遺伝子が出来ていくと思っていて。

そこには当然スケートのスキルだけじゃなく、人間性も大事になってくる。

人間性がダメだとスケートがいくらうまくてもスケーターの価値は上がらないから。

スケーターの価値を上げたいという部分もスクールの中では意識してやっている。

 

——最後にみんなに一言

 

人としてのモラルやマナーだけは守り、沢山のことにチャレンジして経験値を上げよう。

そして大好きなことは絶対やった方が良いよ!

好きなことをやってれば幸せだから。

ドントフォーゲット!!

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Don’t Forget Party集合写真

本気で楽しむということ

被災者ではない自分が荻堂さんにどう質問していくかなど、いろいろ考えてからのインタビューでしたが荻堂さんは何一つ着飾ることなく、ありのままインタビューに答えてくれた。

普通であることは決して当たり前じゃないそして自分が本気でやりたいことは何かを話す荻堂さんの言葉から見えてきたのは、今を生きる人の覚悟だと思う。

この言葉をどう受け止めるかは人それぞれだが、本気で楽しむことの大切さを改めて気づかせてくれた。

決して無駄にせずに多くの人に知ってもらいたいと思う。

昨年、イベント主宰者の阿部直央さんにインタビューした際「このイベントが千年続くように」と話してくれた。

辛いことをずっと続けるのは難しいが、楽しいことなら続けることは苦ではないだろう。

あえてイベント名にパーティと名付けているのにはそんな意味もあるのかなとも考えた。

彼らの想いが世代をまたぎ、いつまでも続いていくことを願っている。

Don’t Forget

 

荻堂盛貴

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写真・文 小嶋 勝美

東京都荒川区出身。芸人上がりの放送作家。

秋葉原時代から東京のスケートシーンをこっそり見てきました。『プロ野球・サッカー・スケートボード』じゃなく、スポーツやゲームなどに並ぶカテゴリーの一つとして日本に大きくスケートボードが根付くことを信じて記事を執筆しています。

  • TEXT BY

    小嶋 勝美

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