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  • 2018.08.20

INTERVIEW:早川大輔 俺にとってのプロスケーターは“憧れ”です。

東京下町を代表するスケーター、早川大輔がスケートボードに乗り始めたのは13歳の頃。

その後18歳からコンテストに出場するようになり、20歳の時にAJSAのプロ資格を取得することになる。

日本でのDamn Am初開催や、オリンピックコーチングスタッフとしての活動など、最近のスケートシーンにおいて彼の貢献度はスケーターなら皆知るところだろう。何がそこまで彼を駆り立てるのか?

早川大輔のスケート人生から見えてくる人生哲学に迫る。

 

スポットスケートボーディング

 

プロスケーターの定義

— それではインタビューを始めたいと思います。

 

まず、俺はプロではないです。俺が思うプロスケーターっていうのはアメリカでワールドセールスのあるスケートボードカンパニーからみんなが認めて祝福してくれるようなプロとして、自分の名前が載った板をリリースし、そのサラリーをちゃんともらってるのがプロスケーターだし、プロコンテストで賞金を貰うとか、それと同等の価値がないと俺はスケートボーダーとしてプロではないと思ってる。

これが俺の大前提にあるプロ。だから俺はプロではないです。

 

— では、プロスケーターを目指したきっかけは?

 

地元の近くに尾澤彰っていう日本のブランドのT-19からプロモデルを出してるプロスケーターがいて、海外のコンテストにも出てダニー・ウェイより成績が上だったりする人だった。そんな人が近くに居ると知ったときに日本人でもプロスケーターなれるんだって単純に憧れた。そこが初めてプロになりたいって思ったきっかけ。

だいぶ経ってから知ったのが、日本人最初のプロスケーターAKI 秋山氏。

俺が産まれてやっと歩き出した頃、すでにプロスケーターでした。(笑)

 

あ?おまえ誰って言われてガビーン!!!って(笑)

 

アキラ君に認められたいっていうのもあった。

当時、小菅(葛飾区)にミニランプがあってよく滑りに行ってたんだけど、すげー遠くからプッシュしてくるロン毛のスケーターがいてえ!?もしかして!ってドキドキしてたらやっぱりアキラ君で、歳なんて一個しか違わないんだけど俺はすげー緊張してて、勇気を出してアキラ君ですか?って声をかけたらあ?おまえ誰って言われてガビーン!!!って(笑)。こえーこの人っていうのが最初のインパクトだった。

ある時、綾瀬(足立区)の駅前の公園で滑ってたスケーターと仲良くなって一緒に滑るようになったら、そこの連中が昔からアキラ君の友達で、ちょいちょい滑るときに誘ってくれるようになったりして仲良くなっていくんだけど、そこから何かあるわけじゃなくずっと距離は平行線。

憧れを意識したおかげで、やっぱり上手くなりたいしコンテスト出ようと思ってからは、目標持って練習するようになったし、そこから急激に上手くなった。

それで当時、西新井(足立区)にあったロックスライドっていうお店でバイトしてたんだけど、そこに突然アキラ君から電話かかってきて足立区の花畑にインドアのパークをムラサキが作るからそこの管理人やらない?って言ってくれたの。それでおー!まじか!!これはチャンスって思って、お世話になってたけどロックスライドのバイトは辞めて、パークの管理人を始めてからは、ずっとパークにいてパークの使い方が出来るようになっていきコンテストでも勝てるようになり、AJSAのプロ資格をゲットした。それが1920歳くらい。

 

スポットスケートボーディング

SSPにて・ノーズジャム

スケートボードが好きという気持ちに背かないこと

— 今スケーターとして大事にしてることは?

 

ケガをしない。無理をしない。楽しむ。進化する。

どんな小さな事でも過去の自分に出来なかったことを、今の自分が出来るようになる事が進化だと思うから、それを追いかけるようにしてる。

 

— 座右の銘は?

 

流水であれ止まらずに流れ続ける。止まると濁るし腐るから、常に流れて勢いを保つのが大事。性格的にもそういうスタイルがあってるかなって思う。

 

— これだけは譲れないってものは?

 

スケートボードをするのが好きっていうのは譲れない。

 

— スケート人生で一番嬉しかったことは?

 

難しいなぁ、まだないな。

まだ全く満足してないし、これからもっといいことは起こると思ってやってるから。

もちろん嬉しかった瞬間はたくさんあったよ。

ずっと憧れてたアメリカに一人で行ってVeniceで滑れた事も嬉しかったし、AJSAのプロ戦で初めて優勝してメダルもらったのもめちゃくちゃ嬉しかったし、T-19に入れてもらえた時もめっちゃ嬉しかったし、自分でブランド作って自分の板に初めて乗った時も嬉しかったし、娘達と一緒に滑って本気で喜んでるとこ見るのも嬉しい。

タンパからみんな呼んでDamn Am日本開催してありがとうってもらった盾も嬉しいし、そういう嬉しいは何個もあるけど、まだ1番はない。

 

— では、人生で最も影響を受けたことは?

 

アメリカに行った時かな。19歳の時に初めてロサンゼルス行った時に人生が変わった。

全てが衝撃だった。俺がやってきたスケートボードって本当はこうなんだって感じて、スケートボードに対する価値観は全部変わった。

とにかく全てがアップデートされた感じ。

日本での出来事が偽物だったとは言わないけど、本場の大きさにやられた。

 

— スケートボードをしていく上で一番大切なことは?

 

自分に負けないこと。そして自分はスケートボードが好きという気持ちに背かないこと。

 

スケートボードは唯一絶対に嘘つかない物。

 

— スケートボードで得られたことは?

 

価値観や生き方、物事の摂理というか、簡単に言うとルール。

自分の根本にあるスケートボードで得た経験が物事の判断基準になっている。

親でも家族でもとにかく人間は良くも悪くも真実じゃない事を言ったりやったりするけど、生きてるからそれは仕方がない。

でもスケートボードは唯一絶対に嘘つかない物だと思ってるから。

信じて何があるってわけじゃないが、一番信じれるかなって思う。

 

— 今プロを目指すスケーターに伝えておきたいことはありますか?

 

結果がどうなるかわからなくても、全てをかけてがむしゃらに夢を追いかける事は必要だと思うから、思いっきりやってほしいし、やってくれ!

本当にプロになりたいと思ってるんなら、もうがむしゃらにやれるとこまでやったほうがいい。そこには物理的に無理だって思う時が来るかもしれないし、何があるかはわからないけど、そこまで一生懸命に頑張ったっていう結果は絶対自分に返ってくる。

そこは相手がスケートボードだから嘘はない。

そう思って生きてます。

 

スポットスケートボーディング

スラッピー・ノーズグラインド

スケートボーダーだっていう自覚の元、もっと自由でいた方がいい

— 日本のスケートシーンについて考える事は?

 

スケーターである限り、スケートに対する感謝をシーンの変化に反映させられたら良いなぁと思いながらやってる。

あのねぇ、俺も生活する上でお金は必要だから欲しいんだ。

でもスケートボードに対して感謝しながら動くという事は、お金じゃない。

スケートシーンって、カンパニーとか連盟とか協会とかそういう業界的な所じゃなくて、シーンっていうのはスケーター自身だと思う。

スケートボーダーがスケートシーンだと思ってるから、シーンをでかくして良くしたい=良いスケーターをたくさん増やすって事だと思う。

本気でシーンを良くしようと思ってるんだったら、そういう活動をみんなしようよって思う。

周りはどうかわからないけど、自分はスケートボードに正直に忠実にいて、自分も含めたスケーターの為に出来ることをやろうって単純にそう思う。

俺が経験してきた日本のシーンって今と比べると鎖国状態にあったというか情報の仕入れ方が、偏っていて全てじゃなかった。

それがアメリカ行って初めて衝撃受けた理由だし、今まで凄く才能があった人にも本当はもっとたくさんチャンスがあったはずなんですよ。

AKI 秋山氏をはじめ大先輩たちも、まず日本の中でベースを整えるべく死ぬ気で楽しんでやってきてくれたおかげで、今こうやってスケーターが増えて当時に比べればたくさんパークも出来て、そういう日本独自の流れがあると思うんだ、だからこそ超えていく努力をしないと失礼かなって。

先輩達の功績を追いかけてもそれ以上にはなれないと思うし、それは憧れと一緒で、憧れた人に追いつこうと思ってるうちはその憧れは越せないから。時代に合った新しい何かをやってみたい、それはスケートボードに携わる仕事として意識してる部分。

 

— スケート業界についてどう思いますか?

 

ビジネスオンリーな考え方は嫌。

必死こいてユウトみたいなヤバイやつを一刻も早くアメリカ連れて行こうと思っていた時、みんな頑張ってねとは言ってくれるけど、言葉でアメリカ行けないじゃん?実際必要なものはたくさんあるけど何にも手伝ってくれないし、メディアに取り上げて欲しいって言っても結果が先で協力してくれなかったからなんだこれ!って思った。

俺の力不足だけど日本人応援してますって言うなら少しでも動いてほしかった。

だったら一人でやってやるよって思っていたら、協力的な人も現れてくれるようになったんだ。その意気込みが出来たのもユウト達がいたからだし、これをきっかけに全部繋げてやろうと本気で思ってた。そこから本当に一気に変わった。

そういうのがあったからTampaの連中が理解してくれてDamn Am日本開催が出来たわけだし。

やって良かったと感じるし、少しは先に進んだと思う。

それがどういう影響を及ぼすのかオリンピックで見たいし、オリンピック終わったあともどう変化していくのかすごく楽しみだなと思ってる。

よくオリンピック終わったらトーンダウンするよって言われてるけど、オリンピックになろうが何だろうがスケーターは変わらないよって思ってるから。

それは業界的なお金の数字の話でしょ。

スケボーするしないは全然関係ないから、それは他所で話してくれって思う。

 

— そのオリンピックについて思う事は?

 

オリンピックを2年後に控えて良いだの悪いだのめんどくさい事言う前に、変な噂にとらわれず、スケートボーダーだっていう自覚の元もっと自由でいた方がいい。

ビジネスチャンスってよく聞くようになったけど、正直スケートボードでビジネスなんて凄く難しいし大変だと思うんだ。

少しズレるけどお金が欲しいなら、スケートボードよりもっと何十倍でも稼げる仕事はたくさんあるからそっちを選んで稼いで、自由な時間を作ってスケートボードをした方が賢いと思う。俺は働かないと家族を養えないからしっかり働いた上で時間を作り、スケートボードに全身全霊で向き合って楽しめたら最高です。

44歳までずっとスケボーしてきて言えるのはこういう事。

これが真実なんです。

 

— どんな人間と一緒に動きたいですか?

 

ポジティブな人。何にも実績や肩書きはなくていい、キラっとしてる人とか真剣に物事と向き合い上を目指してる人と一緒に何かをやってくのがすごく好きです。

例えば、デッキのグラフィックは大好きで尊敬するジェシーくんに描いてもらえてもちろん嬉しい。やってみたら面白かったねっていうのも好きだから、いい!って思った人にもお願いしている。

お互いの相乗効果で良いものが出来たらいいなと思ってる。

 

— どんな人と一緒に滑りたいですか?

 

スケボーしまくるパワーが有り余ってるやつ!10代の子とかでボロボロの靴とかボロボロの板で頑張ってる奴見ると声かけたくなっちゃう。

今までも池之上慶太や藤井竜太郎、池田幸太や室井とか、HIBRIDのライダー達もそう。

ちょっと声かけて一緒に動けるようにフックアップしたり、自分がいたブランドに紹介してスポンサーつけたりとか、出来ることをいろいろやってきたのはそういうことなんだ。

一緒に思いっきり滑れる奴らは楽しいなって思っちゃう。

お金よりスケートボードがしたいんだ。

あと、人が増えたり大きくなってくると縮小したくなる。マイナーダウンしたくなる。メジャーでビッグになるのがそんなに魅力的じゃなくて、マイナーダウンで本質になるべく近い状態をキープしたい。まぁ大きくなったこと無いけど(笑)

HIBRIDの若いライダー達もユウトみたいに早く世界に飛び立ってほしい。

そうしないと新しい子に声かけられないじゃん(笑)

俺が作れるチャンスは限られてるし世界にはもっと大きなチャンスがあるから。

ブランドでっかくして今までかけた分、儲けるとかどうでもいい。

そいつが頑張ってそいつが大きくなった分、そいつが儲けりゃいい。

俺は俺でそいつらといた時間存分に滑って楽しんだし、それでスケートボード上手くなったり経験させてもらったから。

お金よりスケートボードがしたいんだ。

今は、オリンピック関連の委員会に居るけど、最近になってその立場に置かれた理由が納得出来るようになった。

頑張ってるスケーターの味方でいるのが仕事かな?って。

乗ってたのはスケボーじゃなくてトラックだった

5年くらい前にお店辞めてHIBRID始めて、借金抱えてるくせにHIBRIDの売り上げだけでなんとかやろうと思ってた。

だけど、そんなに甘くなくて就職して会社員としてトラックの仕事を始める事になる。当たり前だけど、強制的に仕事をするわけじゃん。

それまでは自分のリズムで仕事を組み立てていけたけど、朝早く行ってトラックの仕事してっていうのをやってる内に、ある時運転しながら泣けてきちゃって。

俺何をやってんだろうって。

それまで俺はプロスケーターだって思い込んでたの。

変なプライド背負って日本のプロスケーターを演じてる部分があって、大した収入もなくなったくせにプロだって思い込んでる自分がいたの。

だけど実際に乗ってるのはスケボーじゃなくてトラックだった(笑)。

今思うと恥ずかしいし笑えるけど、頑張ってたからさ。

スケートボードの板を作るのにはお金が必要。さらにライダー達に乗せるためには大量に作らないといけない。だから俺はスケートボード以外の仕事で収入を得るためにトラックに乗る事を選んだ

もう俺はプロスケーターじゃねぇやって思う反面、若い子たちの為なら我慢できるって思えるようになった。

吹っ切れた。

追われるものがなくなり自分のスケートボードすればいいやってなってからスケボーがめちゃくちゃ楽しくなったし、パッと開けた感じがあった。

嬉しさと悔しさとでよくわかんない気持ちになって運転しながら泣いてた。

 

— 早川さんにとってスケートボードとは何ですか?

 

13歳の時からずっと考えていて、今年で32年目だけど答えは出ない。

究極の遊びだと思ってるし、自分を進化させてくれるものだと思うし、教科書だったり薬だったり例え方はたくさんあるんだけど、よく考えるとそのどれでもない。

おかしいと思われるかもしれないけど、に思えるよね。

花道や茶道、剣道や柔道みたいな道の一つに思える。ゴールはないし死ぬまでやるんだろうけど、そのことについてはずっと考えるわけで。

スケートボー道って言ってるけど、あれは冗談じゃなくて割と的を得てるなって思ってた。

 

— 今、スケートボードに伝えたいことは?

 

今滑れてること自体に感謝してるし、人と出会わせてくれた事にも感謝してるし、全ての中心にスケートボードがあるって事に感謝している。

19歳で初めてアメリカ行ってやられたのに、何十年かしたらアメリカの人たちを呼べるようになったりとか、向こうでも自分のことを知ってくれてウェルカムしてくれるアメリカ人が出てきたりとか、どんどん環境が変わっていって、あんなに憧れて金貯めて努力して行ったアメリカが近く感じる事が出来たり。

普通に考えたら中々ないと思う。その全ての経験に感謝しています。

 

— 改めて聞きます、早川さんにとってのプロスケーターとは?

 

憧れ。憧れだなぁ。憧れちゃうよ(笑)俺にとってのプロスケーターはマジで憧れだよ。

それが原動力というか初期衝動だし、プロスケーターになれなかったからいつまでもしつこく憧れて、それがパワーになってるっていうか、滑り続ける事であったり、本物のプロスケーターを応援したいって思う。

俺にとってのプロスケーターは憧れです。

 

スポットスケートボーディング

 

— ギアの紹介をお願いします

 

デッキはHIBRIDの早川大輔シグネーチャーモデル8.125

実際は87.9インチが俺はベスト。でも、今回作った中にはなかったから、プレスの関係でノーズの強さが8.125の方が自分には合うから使ってる。

トラックはINDEPENDENT139チタニウム。インディーの動きがベストで、足首が痛くなっちゃうからトラックはなるべく軽い方が好き。本当は回し技とかカーブに入るアプローチとかブレないようにサンダーとかベンチャーみたいな硬い動きの方がいいんだけど、テールの軽さとかクイックな動きがインディーの方が好きだからインディーで少し硬めのセッティングにしてる。

ブッシュはINDEPENDENTの別売りのシリンダー型で冬場は90、夏場は青の92を使ってる。ブッシュの締め具合は気温と自分の体調で細かく微調整するし、滑るセクションやトリックによっても調整する。

あと、スラッピーやるとピポットブッシュがぐにゃぐにゃになるから、スラッピーいっぱいやって潰れたら変える。

ウィールはずーっとスピットファイヤー。51mm52mm。いろんな形試したけど俺はCLASSIC SHAPEが好き。硬さはFORMURA FOUR99A

ベアリングはBONES SWISSがいいんだけど、今はBRONSONRAW。シールドがなくてシャーって音がするやつ。それはそれで気に入ってる。

ビスはINDEPENDENTの六角でもプラスでも両方いけるやつで7/8インチ。

余分に回すのめんどくさいからピッタシのやつが好き。

グリップテープはEBONYグリップ。

ちょっと俺には荒いというかグリップが強いけど、長く板乗るから乗ってるうちに慣れてきて調子よくなってくる。

 

スポットスケートボーディング

 

スケートボー道

それまで持っていたプライドを捨てライダーの為に動いていたら、気づくと自分が成長していたと語る早川さんを見ていて、この人は本当に強い人だと感じた。下町の人間特有のシャイな面とスケートボードに対する熱い想いを持つ早川さんの口からは、何一つ偽りのない言葉を聞くことが出来たし、何より彼の言動にはスケートボードに対しては誠実でいたいという一貫性がある。

早川大輔のスケートボー道はどこまでも続いていく。

 

【早川大輔プロフィール】

池田大亮や、戸倉大鳳などが在籍するHIBRIDskateboardsのオーナー。コンテスト誘致や若手の育成など、日本スケートシーンを支える重要人物の1人。

 

取材 小嶋 勝美

東京都荒川区出身。芸人上がりの放送作家。秋葉原時代から東京のスケートシーンをこっそり見てきました。『プロ野球・サッカー・スケートボード』じゃなく、スポーツやゲームなどに並ぶカテゴリーの一つとして日本に大きくスケートボードが根付く事を信じて記事を執筆しています。

 

 

  • TEXT BY

    小嶋 勝美

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